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名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)869号 判決 1968年11月18日

原告

安田正夫

被告

野々垣二郎

ほか一名

主文

一、被告らは各自原告に対し二〇万円とこれに対する昭和三九年四月六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はその二〇分の一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、双方の申立

一、原告

被告らは各自原告に対し四三二万六、八八六円とこれに対する昭和三九年四月六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二、被告ら

原告の請求を棄却する。

第二、双方の主張

一、原告の請求原因

1  事故の発生と被告らの責任原因

原告は、昭和三九年四月五日午後六時三〇分頃、名古屋市中川区八熊通四丁目三七番地先路上の左端(北側)に停車させてあつた自己の自動車の横に立つてキーを探していたところ、被告野々垣二郎の運転する被告会社所有の普通貨物自動車(愛4や34―04号、以下本件自動車という)に衝突され、右足背打撲症、楔状骨第五中足骨破裂骨折の傷害を受けたが、右事故は被告野々垣が前方注視を怠つた過失により発生したものである。

2  原告の損害

(一) 治療費 一三万五、二七〇円

はちや整形外科病院に支払つた分 三万一、七二〇円

竹田功に支払つたマツサージ代 三、五五〇円

将来の治療費 一〇万円

(二) 逸失利益 三六九万一、六一六円

原告は本件事故当時屋根葺職人として年間六〇万円の収入があつたが、その生活費は一年に一二万円であるからこれを差引くと原告の年間純収入は四八万円となる。そして本件事故のため将来右稼働を続けることは不可能となり、また、すでに中年を過ぎて他に知識、技術経験もないので新しい職業に就くことは極めて困難であるから、原告の労働能力は三分の一に減退したとみるのが相当である。そうすると、原告は事故当時四九才であつたから、稼働可能年令である六五才までの一六年間にわたつて右年間三二万円の得べかりし利益を喪失したこととなる。そこでホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間中の労働能力減退による逸失利益の現在価を求めると三六九万一、六一六円となる。

(三) 慰謝料 五〇万円

被告らは本件事故による損害賠償につき全く誠意を示さず、中年を過ぎて不具の身となり家族を抱え何らの職に就く当もない原告の前途は暗たんたるものがある。これらの事情を考慮すると原告の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は五〇万円が相当である。

3  結び

よつて原告は被告らに対し右損害金の合計四三二万六、八八六円とこれに対する本件事故発生の翌日である昭和三九年四月六日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告らの答弁

原告がその主張の日時、場所で負傷したことは認めるが、その余の事実はすべて争う。右負傷は原告の自傷行為であつて被告らにその損害賠償の責任はない。

第三、双方の立証 〔略〕

理由

一、事故の発生と原告の受傷

〔証拠略〕によると次の事実が認められる。

被告野々垣二郎は、昭和三九年四月五日午後六時三〇分頃、本件自動車を運転して名古屋市中川区八熊通四丁目三七番地先路上を時速約一五キロメートルで東進中、進路の左前方に駐車している普通乗用車の傍(右側)で車の鍵を探していた原告を認めたが、かかる場合、自動車運転者としてはその側を通過するに際し、原告と接触しないよう充分に間隔を保つて進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、原告の右側直近を進行した過失により本件自動車の左前後輪で同人の右足を轢き、原告に対して右足背打撲症等の傷害を負わせた(原告負傷の事実は当事者間に争いがない)。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二、被告らの責任

被告会社代表者尋問の結果によれば本件自動車は被告会社の所有であることが認められ、他に何らの主張もないから被告会社を右自動車の保有者と認むべきである。

そうすると被告野々垣は民法七〇九条により、被告会社は自賠法三条により、それぞれ原告に生じた後記損害賠償の義務あるものといわねばならない。

三、原告の過失

本件事故は前認定のように原告が道路左端に駐車した車の右側、すなわち道路中央寄りでその鍵を探しているうち発生したものであるが、およそ自動車の運転者たるものは路上左端に道路と平行して駐車している車の運転席側(右ハンドルの場合)のドアーを開けてこれに乗車する場合、後続車の動きに格別の注意を払いその進行を妨げてはならない注意義務があるものというべきところ(場所の如何によつては車の右側から出入りすること自体危険の予想されることもあるがこの点はしばらく措く)、前掲各証拠によれば原告は車の右側に漫然と佇立して数分間も鍵を探すことに熱中していたことが認められる。しかも前認定のように、負傷個所は右足の甲の部分だけという事実から見ると、原告はかなり不自然な姿勢であつたものと推認されるのであり、そうした不注意が前記被告の過失と相俟つて本件事故の発生をみたものといわざるを得ない(だからといつて右事故が被告主張のように原告の自傷行為、換言すれば原告がいわゆる当り屋であつたとまで認定し得べき証左はない)。

以上、本件事故発生については原告にも相当の過失があつたものというべく、被告主張には過失相殺の主張も含まれているものと解されるので当裁判所は原告の右過失を後記損害額の算定に当り考慮することとする。

四、損害

1  治療費 三万五、二七〇円

〔証拠略〕によれば原告は右事故による負傷の治療費として三万五、二七〇円を支出したことが認められるが、原告主張の将来の治療費一〇万円についてはこれを証すべき資料がない。

2  逸失利益 九万九、三七九円

〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められる。すなわち、原告は事故当時屋根葺職人として少くとも月五万円の収入があつたが、本件事故により昭和三九年四月五日から同年五月三〇日まで佐藤外科病院に入院して治療を受けたためその間全く稼働できなかつた。そして退院後約一ケ月間は竹田接骨医の許へ治療に通い、その後は昭和四二年三月頃まで時として、それもおおむね夜間、はちや外科病院へ通院して治療を続けた結果、その頃までには傷はほぼ快癒し、日常生活はもとより自動車の運転も可能で稼働にもそれ程支障をきたさない状態に回復していた。しかるに原告は昭和四二年八月二三日(原告本人尋問期日)頃まで全然本来の仕事には就いていない。以上の事実が認められ右認定に反する原告本人尋問の結果は措信できず、他にこれに反する証拠はない。

こうした事実からみると、原告は受傷後約二ケ月間は全く稼働できなかつたため一〇万円の収入を失つたものと推認されるが、その後の収入の喪失ないし減額分はこれを事故と相当因果関係のある損害とはみなし難く、また、仮りに相当と認むべき減収があつたとしてもそれが果して幾らになるか適確に把握すべき資料はない。そこで原告の逸失利益は頭書の金額(前記一〇万円につき各月毎に年五分の割合により中間利息を控除して昭和三九年四月六日現在の価額に引き直したもの)の限度でのみこれを認容する。

3  慰謝料 二五万円

本件事故の態様、負傷の程度その他弁論にあらわれた一切の事情を考慮すると原告の受くべき慰謝料は頭書の金額が相当である。

4  過失相殺

以上、原告の損害は合計三八万四、六四九円となるが、本件事故の発生については原告にも前認定のような過失があるからこれを斟酌すると被告らの負担すべき損害額は二〇万円が相当である。

五、結び

以上により原告の本訴請求は二〇万円とこれに対する事故発生の翌日である昭和三九年四月六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用は各一部敗訴した原、被告が主文掲記の割合で負担すべく、原告勝訴部分につき原告の申立により仮執行の宣言をすることとして主文のとおり判決する。

(裁判官 西川正世 渡辺公雄 磯部有宏)

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